今川節からの手紙(6)

月 旧暦 4月29日 友引 壬戌 八白土星 Margit Margot V25 24234日目

89年前の今日(大正15年6月15日)、今川節作曲楽譜第5号が発行された。以下はその引用である。

私の作曲楽譜第五号を作って 今川節

今月は「安別」と「日暮烏」の二曲を書くことにしました。何れも近頃作ったのですが、以前のものとくらべて少しも進歩した跡が見えないので自分ながら悲しく思ひます。

「安別」は普通の童謡調に少し民謡調を入れて見ました。全体をあまり早くなくそうして単純にうたっていただきたいです。

「日暮烏」のはじめの四小節は(旋律の方の)すらすらと作曲出来たのですが、後の四小節がなかなか出来なくて七八度かきかへてやっとこんなものになりました。伴奏もなんだか無茶苦茶の様な気がしてなりません。曲全体はゆっくりうたっていただきたいです。伴奏も夕暮の気持をあらはすつもりでやはらかくひいて下さい。

この楽譜をお送りした多くのお方から御創作の曲や、小学校児童の作曲、御批評やら御讃詞やらその他のおたよりをくださいました。一々御礼状をさし上げておられませんので、大変失礼ですが紙上を借って厚く御礼申上げます。

今後もどうか おじょうず のはいらない御批評をおよせ下さいますよう幾重にもお願ひ申します。

(大正十五年六月十三日印刷納本 大正十五年六月十五日發行)

「安別」は北原白秋作詞、「日暮烏」は青柳花明作詞。「安別」の詞の末尾に次の様な註がある。

(安別は樺太の西海岸にある淋しい漁村。韃靼は支那北方の地名。)

さうなのだ。今川節が生きてゐた時代、樺太は日本の一部であった。あそこは間宮林蔵が江戸時代の後期に世界で初めて樺太が半島ではなくひとつの島であることを確認してから、ずっと日本の領土であった。先の戦争で日本が朝鮮半島や台湾から撤退したことには無理からぬ歴史的背景があり、さうすべきであったと僕も思ふが、樺太を失ふことはまた意味が違ふ。昨今ウクライナの紛争を巡ってプーチンクリミア半島は歴史的にロシアの領土であったと熱く語るのをテレビで見たことがある。それを言ふなら、全く同じ理由で樺太は日本の領土であったのだ。世界の情勢がギクシャクしてゐる時にあまり刺激的なことを言ひ出すのは良くないと思ふけれど、日本人は心の底に彼の地はかつて日本であった事実を、シベリア抑留の記憶とともに忘れてはいけないとも思ふ。今川節の紹介にはあまり相応しくないことを今日は書いてしまった。