キャッシュレス時代

水 旧暦4月9日 赤口 丙寅 六白金星 上弦 Märta.Märit V19 22737日目

日本では貨幣単位として円の下に銭や厘があるけれども、日常生活においてはもう何十年も前から銭も厘も使われることは無い。スウェーデンではクローネの下にオーレがあって、つい最近まで50オーレ硬貨が最少通用単位として流通していたが、今ではもうそれも通用しなくなっている。僕の財布の中には今でも3枚の50オーレ硬貨が残ったままになった。歴史の中でオーレは銭や厘と同じように幻の通貨単位になろうとしている。日本とスウェーデンとを比較すると、キャッシュレス社会はスウェーデンの方がより進んでいる。日本でも電子マネーができてから、キャッシュレスが進んでいるが、まだまだ現金でなければ支払いができない局面が多い。特に地方へ行くとそれを感じる。これに対してスウェーデンでは僕の住んでいるところはかなり地方であるけれども殆ど現金を持たないでも済ませることができる。電子マネーへの登録は無くて、銀行のキャッシュカードがそのまま支払いカードとして機能する。それで電子マネーへお金をトランスファーする手続きは不要である。人によって現金で支払いをしたがる人もいるから、むろん、今でも現金が大きく通用しているが、同時にキャッシュレスへの対応が進んでいるのも事実である。バスに乗るにはカードを持っていなければ現金では乗せてくれなくなった。僕はなるべく現金を使わない主義であるので、財布の中の現金はスウェーデンではあまり動かない。今年は3ヶ月以上日本に行っていたから当然かもしれないが、それでもスウェーデンのATMで現金をおろしたのは、一番最近で今年の元日のことであった。4ヶ月以上お金をおろしていないことになる。現金が必要になるのは、教会で献金する時とか、青空市場で野菜を買う時とか、会社で誰かが40歳、50歳等になったからお祝いにお金を集めようとする時くらいのものである。仮想財布というものがあって、給料日にはそこの残高が増える。日常の消費生活の中でその数字が減っていく。現実の世界であるのに殆どゲームの世界のような感じがある。これである日突然大災害が起きて、データベースごと忽然とこの世から消えることがあれば、そこから僕は一文無しになる。この地上のどこに置かれているのかしかと良く分からないシリコン上の記憶と電気通信の技術の上に、僕たちの経済が動いている。危い気もする。