メールか電話か

火 旧暦 2月29日 赤口 癸巳 九紫火星 Artur Douglas V15 22344日目

どこの国の言葉にしても、言葉とはもともと音声信号であると思う。現代人は自分のつぶやきさえも携帯電話の端末から書き込むようであるが、コミュニケーションに音声が介在しないのは言葉にとって不幸な時代であるような気がする。なるべく人とは声で直接やりとりしたいが、相手が外国人であるとどうしても音声を避けようとして他の手段に行ってしまうこともある。書きものによる通信は内向的で、直接話すのは開放的な気もする。何かを伝えたい時、メールにするか、電話にするか、直接面と向かって話し合うことにするか、これらをどう使い分けるかは、時と場合によって変わることもある。方法の違いによって、伝え合う情報の内容が違ってくることもある。新しい時代の言文一致の技術の開発が必要かもしれない。