イルバ エッゲホルン

日 旧暦8月6日 先勝 癸丑 八白土星 Dag, Daga 21404日目 5.6℃

スウェーデンに住んでいると、こよみも暮らしの歳時記もすべてキリスト教に深く結びついていることに気づく。キリスト教を切り離して、暮らしの部分だけスウェーデンに同化しようとしても無理なのかもしれないとも思う。キリスト教は僕にとってひとつの教えであるから、近くのカタリーナ教会に顔を出すことがある。今日も夕べの集まりがあったので行ってみたら、いつもと様子が違っていた。町から大勢の人達が来て小さな教会の長いすはほぼ満席であった。後で分かったのであるが、今日お話をした人は、イルバ・エッゲホルンという有名な人で、現代の賛美歌などもたくさん作詞している人であるらしい。今日歌った歌も彼女の詩によるものであった。せっかくのお話であったが、僕のスウェーデン語の力では殆ど聞き取ることが出来なかった。

僕は以前から日記をつけていたが今までそれを公開することは無かった。ブログをつけ始めて日記の一部を公開するようになって自分にある種の変化がおきた。それは、たとえブログが誰に読まれることも無かろうという安心感があるにせよ、いざネットの向こう側にそれを置くとなるとやはりある種の緊張を伴うという事実に気づいたことである。キリスト教に帰依しなくても、心のうちに聖書に書かれていることと似た道を歩むなら何も洗練を受けることも無いではないかと思うが、洗練を受けるか受けないかという違いは、きっと、日記を公開するか人目にふれぬ様に隠しておくか位の違いがあるのかもしれないと思った。公開するということは自分の言動に責任を持つことでもある。傷つかないでおこうとする気持ちも分かるが、自分の思うことを外に向かって表現してみることも大事であると思った。ブログは良い。だって読みたくない人に強制することがないもの。その安心感があって、今日も僕は書きたいことを書く。書くことで慰められるから。そしてそのことで自分自身を確認することができるから。

敬老の日の夕暮れの雨静か