責任を取るといふこと

2025-07-28 (月)(令和7年乙巳)<旧暦 閏6 月 4 日>(先負 戊戌 二黒土星) Botvid Seved 第 31 週 第 27930 日

 

日本は良い国だと思ふのだが、関係者に責任を負はせすぎるといふことはないのかな。本人に悪意など全くないのに、何かの偶然で事故が起きたりすると、その事故を未然に防ぐための対策をとらなかった関係者は厳しく責められる。本来、責任を取る行為は本人の自発的な思ひで責任を取るのであって、周囲から「責任を取るべきだ」と迫るものではないのではないかな。1960年にチリ地震があって津波が日本の太平洋沿岸を襲った。地球の反対側から遥々と太平洋を超えて津波が到来するなど当時は誰にも想像できなかったが、その時に警報を出さなかった気象庁の方であったか、責任をとって辞められた話を聞いたことがある。その場合は自発的な引責辞任だったと思ふ。それ以降は、予測しうる災難を前にきちんと警報を出すのはお役所の当然の仕事だといふ風に次第に圧力が強まった。今でも専門家は「正確な地震の予知はできません」と言ってゐるのに、一般の民衆は正確な予知を求める雰囲気がある。僕らは運命の力の前にもう少し謙虚であるべきではないかなと思ふ。あまり参考にはならないかもしれないが、昔、ストックホルムの「ヴァーサ号博物館」を見学したことがある。1628年に進水式直後に沖へ出た軍艦ヴァーサ号は風に煽られて船体が大きく傾き、そのまま沈没してしまった。沈没の原因について調査され、裁判も行はれたのだが、結局有罪判決を受けた人はゐなかったといふ話を聞いて、「これがもし日本であれば、必ず誰かは責任を取らされるところだな」と妙に感心したことを覚えてゐる。

北欧の夕空