2025-01-20 (月)(令和7年乙巳)<旧暦 12 月 21 日>(友引 己丑 八白土星)大寒 Fabian Sebastian 第 4 週 第 27735 日
治承4年(1180年)の五節は神戸の福原で行はれた。(五節といふのは宮中行事で、陰暦十一月の二度目の丑・寅・卯・辰の四日間にわたって行はれた。大嘗祭・新嘗祭の後で行はれる饗宴で、豊明節会とも言はれた。その由来は天武天皇の御時に吉野宮で月しろく嵐はげしかった夜に琴を弾かれると神女が天下り五たび袖を翻したといふ伝説による。現代の宮中では大饗の儀としてその伝統が受け継がれてゐる。ただし、治承4年は福原遷都の直後であったから新都には内裏もできてゐなかった。それでこの年の新嘗祭は京都で行はれ、その後の五節だけが福原で行はれたといふことだと思ふ。なお、奈良東大寺大仏殿が平氏によって焼かれたのはそのひと月後、高倉上皇崩御はそのさらに二週間後、平清盛の死はそのさらにふた月後のことである。清盛の親友であった邦綱卿もその後を追ふ様に亡くなられた)。治承4年の福原での五節のとき、中宮のゐらっしゃる方へおしかけるように出向いて行った殿上人があった。その時誰かが「竹湘浦に斑なり」といふ詩を朗詠した。それをこの大納言(五条大納言邦綱卿)が立ち聞きして、「おやおや、これは縁起の悪い句であると伺ってゐるのだが、、。ここは聞かなかったことにしよう」と言って、抜き足差し足でそこを逃げるように出られた。この縁起が悪いといふことの意味を詳しく説明すると次のようになる。
