山折哲雄氏の「ひとりの覚悟」

2024-02-15 (木)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 6 日>(赤口 己酉 一白水星) Sigfrid    第 7 週 第 27400 日

 

「死生観」といふもの、あるいは「死とどの様に向きあふべきか」、「人の死にどの様に接するべきであるか」といったことに対する感じ方は、日本人と西欧人では違ふのではないか、といふ疑問を、僕はスウェーデンに来て以来ずっと心の奥に持ってゐた。これはうかつに言葉に出せば微妙に差別に関連するかもしれず、その意味であまり表向きにできない気持ちも併せ持ってゐた。これは僕の狭いものの見方がさう感じさせるだけかもしれないとも思った。道元禅師の修証義は「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」で始まる。無常・因果・業などが説かれてある。山折哲雄氏の「ひとりの覚悟」といふ本を読むと、「死生観」を英語やフランス語やドイツ語などで言ひ表すことは困難です、と書いてあった。死は点ではなく長いプロセスであり、「もがり」といふ考へもそのことに通じると。また、寺田寅彦の言葉を引用して「日本列島に住む人々は、地震が起きれば逃げ惑ふ他はなかった。怖るべき自然の脅威の前に首を垂れ、反逆することをあきらめた。自然をコントロールしたり征服したりすることを放棄し、むしろ自然そのものからひたすら学び、生きていくための知恵をそこから引き出すよう努めた。」とある。現代の日本では、海岸に沿って高い防潮堤が張り巡らされてあるのを見るが、あれは教へに反し、自然に反逆してゐるのではないかと僕は思ってしまふ。地球は傷んで病んで暴れだしてゐる。そんな自然に学ぶことを忘れ、人間はいまだに自然をコントロールしようとしてゐる。1828年に「三条大地震」があり、良寛はこの時被災しつつも被害はなかったが、友人の山田杜皐は子どもを亡くした。良寛は杜皐に次の様な見舞状を書いた。「災難に遭ふ時節には災難に逢ふがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難を逃るる妙法にて候」と。こんな過激な励まし方はなかなか言へるものではない。僕は内村鑑三がその長女を埋葬する墓地で「万歳」と叫んだといふ話を思ひだしてしまった。「ひとりの覚悟」といふ本はもっと他にも示唆に富んでゐるが、少し思ったことを書いた。

もやがかかったような暗い日であった。