10年で変はったこと・変はらなかったこと

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

2021-10-16 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 9 月 11 日> (先勝 丁酉 六白金星) Finn 第 41 週 第 26544 日

 

10年前には会社員であった。今は毎日家で過ごしてゐる。コロナ騒ぎがあってもなくても、どっちみち自粛生活に近いライフスタイルである。ただ、日本に行けなくなったことが苦しいところである。26年間勤めたスウェーデンの会社を定年退職したのは2014年1月31日であった。僕にとって、10年前と今とを分ける最も大きなイベントはその退社の日であったかもしれない。その頃僕は「はてなダイアリー」を利用してゐたが、「はてなブログ」に移行したときに、残念ながらそれまでの毎日の写真が全部消えてしまった。でも文章は残ってゐる。2014年1月31日の退職のブログ記事を読んでみたら懐かしい気がした。残念であるのは、その会社が今はもうないことである。町に出て、その建物の前を通る時、他の会社の看板になってゐるのを見ると、フッとさみしさがこみ上げてくる。会社を辞めた後は、すぐに次の仕事を探すのではなくて、しばらく静かに自省の日々を送りたいと思った。勉強もやり直してみたいと思った。世の新しい動向をキャッチするために勉強をするのではなく、専門的なスキルを伸ばすために勉強をするのでもなく、ただ高校の勉強をやり直すことがひとつの目標になった。年金をいただくことができるから、そんなこともできるわけである。何も生産的なことをしないのにお金をいただくのは申し訳ない気もする。「若い時にあれだけ働いたんだもの、当然よ」と言ふ考へもあるかしれない。しかし、「昔は昔、今は今」が考への基本になければならないと思ふ。世の中には、何かの都合で、若くして生活保護を受ける人もあるかしれないが、必要以上に負目を感じるのではないかと危惧する。生活保護を受ける人は、僕らのように年金を受け取るものが感じる負目と同じ程度の負目ですむような社会であって欲しいと思ふ。社会から何かを受ければ、何かの形で社会に恩返しをしたいと云ふ心持ちになるのが、人の心の自然ではないか。僕はそのような人の良心を信じたいと思ふ。

この10年で変はったことと言へば、電話の活用法かなと思ふ。ズームなどの利用でオンライン会議もよく行はれるようになったようである。スウェーデンに来る前に日本で仕事をしてゐた頃は、電話が済むと、その話した内容を整理してメモに残すいとまもなくすぐに次の電話がかかってきて、それが次々と重なるので辛かったことを覚えてゐる。電話は昔のような意味では頻繁に使はれなくなってきたと思ふ。昔電話で応対してゐたことが、今はメールやSMSなどに置き換はったのではないだろうか。相手の時間に不躾に切り込まない礼儀が発達してきたとも言へる。「こんな大事なことをいきなり電話で切り出すのはどうかな。やはり直接会って話した方が良いかな」と言ふ考へも後退しつつある。テレビ電話を利用すればほとんどの用事は電話で済んでしまふ。新車の購入さへもネットで注文できる時代である。ただ、相手に何かを伝へる時、書いたもので伝へるのと、話をして伝へるのでは違ひが大きい場合がある。それは今後も変はらないと思ふ。会話を通じて伝へるのにオンラインを利用するか直接会って話すかといふ違ひももちろんある。その違ひもまたこれからも残るのではないかと思ふ。

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咲く季節が少し違ふような気がする