平家物語「小教訓5」

2020-12-18 (金)(令和2年庚子)<旧暦 11 月 4 日> (友引 乙未 二黒土星) Abraham   第 51 週 第 26243 日

 

ところで、その日の朝、大納言・藤原成親のお供をして西八条の清盛の館までついて行った侍たちは、大納言が捕らえられたことを目撃して、びっくり仰天で中御門烏丸へ走り帰り、このことを報告した。北の方をはじめとして女房たちはこれを聞いて声も惜しまずに泣き叫んだ。「既に武士たちがこちらに向かってをります。ご子息の少将殿をはじめ君達も皆連れて行かれてしまふと聞いてゐます。急いでどこかへ姿をお隠しなさいませ」といふと、北の方は「今はこればかりの身になってしまって、安穏を求めてもその甲斐もありません。むしろ大納言と同じに一夜の露と消えてしまひたい気持ちです。ああ、今朝の別れが最後の別れであったとは。それも知らずにゐたことのなんと悲しいこと。」と、伏しまろびて泣いた。かうしてゐるうちにも武士たちが近づいてますよと聞こえる。何もせずにゐるのも恥さらしなことで、辛い目にあふこともやはり耐えられないことだからと考へて、十歳になる姫君と八歳の若君とを車に乗せて、どこを目指して良いのかわからないままに出発させた。その辺にいつまでもウロウロしてもゐられないから、大宮大路を北に進んで、北山のあたりにある雲林院に入った。紫野の大徳寺の東南、船岡山の東北のあたりである。二人をその辺にある僧坊におろして、ここまで送ってきた者共も我が身を捨てるのはいやだから「これでおいとまします」と言って帰って行った。今はいとけない幼い人々だけが残って、また、言葉をかけてくれる人もなくしてゐらっしゃるであろう北の方の心のうちが推し測られてあはれなことであった。暮れ行く夕日をご覧になるにつけても、大納言の露の命はこの夕べ限りのものかと思はれて、北の方は消え入るばかりの思ひであった。家には女房や召使が多かったけれども、ものを取り片付けるものもなく、門を閉めるものもなかった。馬は厩に並んでゐたが、まぐさを与へるものもひとりもゐなかった。思へばこれまで、夜になれば馬が駐車場にたち並び、賓客が次々と訪れ、遊び戯れ、舞ひ踊り、世を世とも思はぬ振る舞ひであった。その家の近くに住む貧者たちは、楽しみがあっても大きな口を開けて笑ふこともできず、悲しみがあっても高い声で泣くこともできず、小さくなってただ恐れてゐたものだった。それが一夜のうちにすっかり変はってしまった。盛者必衰の理はまさに目前に顕れたのである。「楽しみ尽きて哀しみ来る」と書かれた江相公大江朝綱の筆の跡が今こそ思ひ知られることであった。

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今月2度目の青空。久しぶりに飛行機雲も見た。