アドリア海

土 旧暦 5月18日 仏滅 小暑 己巳 四緑木星 Klas V27 231539日目

飛行機は Landvetter空港を06:55に出発した。それに間に合うようにGötebrg市内のホテルをチェックアウトしたのは04:30である。雨は上がっていたが、天気は曇りであった。空港に着くと車を駐車場に入れた。この頃は駐車場もインターネットで予約しておくので、満車で駐車できないという心配は無い。スカンジナビア航空の1835便の機種はMD82であった。割と古かったが乗り心地は悪くない。150人乗りの座席はほぼ満席であった。これは夏休みの観光地に向かうチャーター便である。ビジネス客はひとりもいない。ツアーと言っても添乗員はおらず、集合場所があるわけでもなかった。往復の飛行機代やホテル代、バス代などをまとめてあらかじめ銀行振り込みしておくと、予約番号を知らせてくるので、その番号を持って、普通の定期便に乗る時と同じ様に自分でチェックインするのである。早朝から空港には人がたくさんであったが無事に飛行機に乗り込んだ。ヨーロッパ大陸にさしかかる頃には眼下に平野を見下ろすことができるくらい、雲が切れてきた。飛行機はほぼまっすぐに南下しているようである。ナビゲーションのモニターが無いので推測するしかない。ベルリン、プラハ近くの上空を飛んだのだと思う。オーストリア上空にさしかかった時、蛇行しながら東西に伸びるドナウ川を見下ろすことが出来た。飛行機は更に南下してアドリア海に出た。と思うとやがて着陸体勢に入った。透明な海の色が眼下に迫ってくる。飛行機はさらに高度を下げて、クロアチアのSplit という空港に到着した。パスポートの検査待ちの列は観光客で混雑していた。やっとターミナルビルを出ると、旅行代理店の現地の人がカードを下げて待っていて、予約番号を告げると54番の貸切バスに乗れという。そのバスに乗って2時間ほど揺られて Makarska という町に着いた。バスにはガイドがいて、スウェーデン語で何やら説明していた。右手にはアドリア海を見て、左手には石灰岩のような岩肌があらわな2000メートルにも及ぶかと思われそうな急峻な山並みが迫って、それがどこまでも続いていた。こんな地上の風景は一体いつから変わらずにここにあるのだろう。日本では卑弥呼が登場し、邪馬台国の栄えた時代に、既にこの辺に古代ローマ皇帝の宮殿もあったようなことを連想すると、二千年の歴史が一瞬に凝縮するような思いもした。バスを降りるとカッと照る夏の太陽がまぶしい。サングラスをかけてもなおまだまぶしかった。蝉の鳴き声も聞いた。日本の蝉とはやや鳴き方が違うけれども、それは確かに蝉しぐれには違いようで、とても懐かしい気がした。ホテルにチェックインした後で近くの海辺を散歩してみると、人は皆、肌を露わにして、オッパイの大きなお姉さんたちも思い切り夏の光を楽しんでいる。ああ、なんて悩ましいんだ。ここにはポロシャツを着て長ズボンをはいているような無粋ないでたちのものは僕の他にはひとりもいない。何だか場所を間違えたような恥ずかしい気もしたが、僕のような腰痛を抱えた老人には暑くても半ズボンになることは苦手である。