隠遁への憧れ

土 旧暦 10月22日 先勝 辛巳 七赤金星 Astrid, Asta V47 22571日目

隠遁への憧れを思うとき、不思議と連想することの上に載ってくるのが壇一雄である。「火宅の人」を昔読んだ時、言いようのない共感を覚えた。家が炎に包まれているのに気づかずにこの世の楽しみに興じようとする愚かな人、というのが「火宅の人」の意味であるが、そういう意味ではまぎれもなく僕もまた火宅の人である。壇一雄のように恋の故に火宅に甘んじるのはかっこよいと思うし、あまりそういうことに縁のない僕がこう言い出すのもおかしいが、しかしそれは何も恋の道に限ったことではない。恋も釈教もその道はひとつにきわまれるというか、もっと言えば、この世の人々のあらゆる生きる営みが火宅に落ちる危険性と隣り合わせである。賢い人は火宅を避けて通るであろう。でも愚かしさの中に真実があることだってある。そういう思いと隠遁への憧れとはどこかでつながっているような気がする。