西行のうた

金 旧暦10月28日 先勝 乙亥 三碧木星 大雪 Angela, Angelika V49 21486日目 2.8℃

定家と来れば西行が来なければならぬ。あなたの好きな歌人は誰ですか、と聞かれて、素直に「西行です」と答えるにはためらいがある。もし何のためらいも無く自分の好きなことを口に出来るのであるなら、それは本当にそのことが好きではないのではないかとも思う。西行北面の武士であったころ、平清盛と同級生であった。新古今和歌集の成立が1216年、古今和歌集の成立が905年、この三百年の間に八代集と呼ばれる勅撰集が相ついで現れた。しかし決定的であるのは源氏物語がこの間に成立したことである。新古今の作風の基本は源氏物語の延長の上に置かれていると言っても過言ではない。ところが、西行のうたは、源氏を踏まえて詠んでいるうたなど無いのではないかと思われる。それでも西行のうたは新古今の中に94首も納められていて、このことが新古今にある種の広がりを与えている。本歌取りという技巧は新古今においてよく発達したが、西行はこの技法をあまり用いなかった。あの絶唱

津の国の 難波の春は 夢なれや あしの枯葉に 風わたるなり

は、その本歌取りの技法を用いた数少ない一首である。

壇一雄の自伝的小説「火宅の人」を読んだ時、

ここをまた 我が住み憂くて うかれなば 松はひとりに ならむとすらむ

という歌を引用している箇所があって、ああ、と深く嘆じたのを覚えている。当節、流行作家は多いが、壇一雄のような作家は今はもう居ない。