電子化された教科書

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例えばアメリカのカリフォルニア州では高校の教科書の一部が既に電子化されているそうである。僕などは書籍の電子化というと、せっかく紙に書かれてあるものをわざわざ電子化して読みにくくしなくても良いではないかと思ってしまう。読む本が例えば古典文学などの普遍的な内容である場合は、ある程度、その通りかもしれない。けれども、勉強しようとする課題が、世の中の変化の速さにピタリと追従しなければならないような場合には、そういう授業の教科書の択び方となると、ウエブ上で最新情報や価値ある情報を取捨選択して教科書にするやり方が今は一般であるそうだ。それを本にする場合でも印刷部数が少数であっても安く本ができる。これは僕も自分のこのウエブ日記を1部だけ印刷製本してみて分かったが、びっくりするほど高くなかった。スウェーデン語の文字が正しく印刷されないのが残念であったけれども。ともかく時代はもはや一個人がこつこつとアイデアを暖めて教科書を執筆してその印税をかせぐような時代ではないらしい。けちな考えで知識の出し惜しみをすれば自分に返ってくるものは何もない。逆に自分の知っていることを惜しみなく公開すれば、一時は損するように見えて、結局得になるものであるらしい。こういう考えはアメリカは先進的である。本当に勉強する意欲があれば、何も大都会へ出て行かなくとも良い。この地上のどこにいてもウエブ上で非常に安く勉強できると言うのである。そしてその内容がいまやうんと洗練度を極めていると言う。ただ、その利便を自分も享受したければ英語を勉強するしかない。日本でも日本語による無料のすぐれた教科書がどんどん公開して欲しいものだと思う。若い学生ばかりでなく、生涯学習をめざす人たちにも良いのではないか。こんなことを書いたのは、たまたま「ウエブで学ぶ」という本を買って読み始め、感ずるところ大きかったからである。(ちくま新書梅田望夫、飯吉透著)。