バイリンガル

月 旧暦4月15日 赤口 己未 五黄土星 Maj Majken V21 21648日目

先日の甥の結婚式に出た時に、気になったことがひとつある。それはまだ小さい子に英語で挨拶することを親が真面目に仕向けている光景に出くわしたことである。小さい子供にとって母国語を獲得していく過程は、大人である僕達が考えるほど簡単なものではない。自分が小さかった頃、チャンバラ映画を見ることもあったが、お侍さんがしゃべっている日本語が殆ど分からずに退屈をした思い出もある。子供というのは、そのような退屈な時間を体験することも含めて、言語感覚を磨いていく。大事なのはコミュニケーションの実際を学ぶことである。自分はこうしたいが、自分がもしこう出ると相手はこんな風に困るだろうと思ってみるとか、ここは相手に迷惑をかけても自分の意思を伝えたいところであるとか、ここは自分の方が我慢するべきではないかと判断したりする、そのような能力を磨くことこそが大事なのである。そのような感覚は常に母国語を通して学ぶことができるものである。子供がコミュニケーション技術を身につけていく大事な時期に、外国語の発音に慣れるようにという意図であるのかどうか分からないが、英語を注ぎ込む行為は、極めて危険な実験と言わざるを得ない。このような実験から、ごくまれに、バイリンガルの子供として成功する例もあるのかもしれないが、例えばアメリカ人の父親から英語を学び、日本人の母親から日本語を学ぶとか、何か周到に用意された方針が無ければ殆ど失敗すると思う。二つの文化の違いを感じながら育つのでなければバイリンガルは育ち得ない。あまつさえ、テレビからはお笑いタレントなどのおかしな日本語が入って来る。僕達は一人一人が日本語感覚を自分で守ろうという明確な自衛の方針を持たなければ、もはや言葉の伝承も出来ないほどの、危機的な状況にあると思う。子には親の言語に対する姿勢がそのまま現れてしまう。が、そのような忠告も余計なお世話であるか。