死刑の是非

水 旧暦3月18日 友引 癸巳 六白金星 Georg, Göran Världsbokdagen V17 21622日目

山口県光市の母子殺害事件の犯人は死刑に処せられることになった。本当は僕は、日本に死刑などあって欲しくないのであるが、昨今の世の犯罪状況を見ていると、死刑もやむを得ないのではないかという気にもなる。世の中には際限なく図々しい人間がいて、残忍な加害者が、法律によって保護される厚い人権をあたかも当然のことのように享受している。およそ、反省も逡巡も悔悟も全て忘れて、ただ、自分の思いのままに生きようとするものども。どこからどうながめても弁護の余地の無いものを、職業的弁護人はどんな良心的思いで弁護するのであろうかとも思う。姑息に法律的な入れ知恵をしてずるく生き延びる方法を幇助するより、お前の犯した罪はどんな弁護の余地も無いほどに重いものであると諭してやった方がどれだけ弁護になるか分からない。懺悔の無いところには仏祖のあわれみも滅罪も無い。あの加害者は、はたして、死刑を執行される前にハラリと涙するようなことがあるのであろうか。あるまい。だから死刑に処せられるのである。