80年前の終戦の詔

2025-08-15 (金)(令和7年乙巳)<旧暦 閏6 月 22 日>(先負 丙辰 二黒土星) Stella Estelle 第 33 週 第 27948 日

 

今日は80年目の敗戦記念日である。最近の新聞記事にはさきの戦争を語り継がうといふ論調をよく見かける。良いことであると思ふ。80年目と云ふ節目の年であるばかりでなく、今の世界の情勢から見て、もしかして僕たちの未来に戦争の足音が近づいてゐはしまいかといふ不安がその裏に潜んでゐるかもしれない。昭和20年8月15日にラジオで全国放送された終戦の詔を眺める。あれは今となってはもはや古典文学のように僕には響く。当時の録音技術は良くなかったせいで昭和天皇のお声をしっかりと聞き取れなかった人も多かったらしいが、もし現代の高品質の録音で聞かせられたとしても、その内容を民衆が即座に聞き取ることはあるいは困難であったかもしれない。戦況は厳しく、誰の目にももはや敗戦が明らかであったにもかかはらず、必ず勝つと信じきった民衆の上に突然の「おほみことのり」が降りたからである。中でも最も目をひくのは「帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク」といふ部分だ。「五内」とは五臓六腑の五臓と同じ意味であるが、吉川幸次郎氏の解説によれば、「悲しみを「五内」に繋けていふことは、支那では、最大の悲しみを表現する場合に限って、用ひられる」と云ふことである。ラジオの前に深く頭を垂れてゐた吉川氏は、あまりの畏れ多さに、あはやその場に昏倒せんばかりであったと云ふ(文藝春秋昭和20年10月號)。中国の聖賢の「民をいたはること、わが体の傷のごとくせよ」と云ふ言葉を昭和天皇はそのまま具現されたのだと思ふ。一般民衆もまた、あの戦争を頭の中で論理的に反省したのではなく、深い悲しみを込めてはらわたで反省したのだと思ふ。第2次世界大戦で勝った國も負けた國もあるが、戦争をしてしまったことへの反省には勝ちも負けもない。頭で利得を計算しながら平和を唱へるのではなく、はらわたの声に耳を傾けることが大事なのかなと思ふ。

何種類ものカエデやイチョウもあった。