2025-06-21 (土)(令和7年乙巳)<旧暦 5 月 26 日>(赤口 辛酉 七赤金星)夏至 Midsommardagen Sommarsolståndet Alf Alvar 第 25 週 第 27893 日
今日は一日中「時間とは何か」について考へた。「下手の考へ休むに似たり」といふ言葉がそのままあてはまり、無駄な時間を過ごしてしまった。いくら考へても答への出ないことは初めからわかってゐるのに、それでもそんなことを考へるのは愚かなことかもしれない。ヒマ人である証拠ともいへる。「もう老人だもん、好きにして良いよ」と自分に言ひ聞かせて過ごした。
いはゆる開闢(かいびゃく)すなはち「宇宙のはじまり」といふものがまづあって、それ以来何十億年もの時が流れ、「星の誕生」があり、星から色々な元素が生まれ、そんな元素が集まって「生命の誕生」があった、、、と考へるのはあまりにも時系列的なものの見方かなと思ふ。これに対して、自己中心的なものの見方になるが、自分といふいのちがまづ生まれて、そのいのちが意識を持ち、時の流れを感じるようになっただけのことかもしれない、といふ見方もある。この地球も月も太陽も紛れもなくそこにあるように見えて、実際は自己の意識の中にだけあるものかもしれない。西田幾多郎は時間について次のように言った。「現在において過去は既に過ぎ去ったものでありながら未だ過ぎさらざるものであり、未来は未だ来らざるものでありながら既に現れてゐるといふのは、抽象論理的に考へられるように、単に過去と未来とが結びつくとか一になるとかいふのではない。相互否定的に一となるといふのである。過去と未来との相互否定的に一である所が現在であり、現在の矛盾的自己同一として過去と未来とが対立するのである。」なんだかすごい言葉だと思ふ。太平洋戦争といふ過去の出来事も、既に過ぎ去ったことでありながらすぐれて現代の問題であるといふことかもしれない。
