シンギュラリティを越える時

火 旧暦 6月3日 友引 癸丑 五黄土星 Jakob V30 25004 日目

アインシュタインが「物質とエネルギーとは同じである」といふ方程式にたどり着いた時、科学者たちは、重い元素の原子核が二つに分裂したらどうなるかを考へた。大きい元素になればなるほど重くて持ちこたへられなくなるので、ちょっとしたきっかけで原子核が分裂することはありうる。分裂後にできた二つの元素の原子核のそれぞれで、陽子と中性子とを結びつけるエネルギーの和は元の元素の原子核が持ってゐたエネルギーより少なくて済むので、その分、分裂と同時に余った中性子が飛び出して来て、反応の前後でほんの少しだけ質量が軽くなる。ほんの少しと言っても、それがエネルギーとなって解放される時は、c (真空中の光の速さ)の二乗で効いてくるので、巨大なエネルギーが得られるのである。これで爆弾を作ったら大変なことになる、それがナチスの手に渡ったら世界はどうなるか分からない、といふ判断で、アメリカで核爆弾製造プロジェクトが極秘のうちに始まった。マンハッタン計画と呼ばれ、時の大統領はルーズベルトであった。1945年7月16日未明、ニューメキシコ州アラモゴードの丘に閃光が走って、人類初の核実験は成功した。ルーズベルトはこの成果を知る事なく、3ヶ月前にこの世を去ってゐた。そしてトルーマンがこの計画を引き継いだ。アインシュタインの「物質とエネルギーとは同じである」といふ考への正しかったことはここまでで十分すぎるほど十分に確かめられたのである。本来はそこで計画を終了すべきであった。けれども、当時の軍部の勢ひとして、何が何でも実際に落として見せないことにはすまされないものがあった。それが、広島、長崎の悲劇となったのだが、落とす場所を日本とした背景には、欧米のいづれからも地理的に遠い地点を選ぶといふ、人種的な意識が暗に働いてゐたに違ひないと僕は内心で思ってゐる。長々と関係のないことを書いたが、これから人工知能が発達して、シンギュラリティを越える時、人はそれを抑へようとしても抑へられないものと思ふ。それは、何が何でも原爆を落として見なければすまされなかった、かつての悲しい人間の心理とよく似てゐる。だが、希望がないわけではない。人工知能は民間技術であり、機密への緊張が核開発とは全然違ふと思ふし、シンギュラリティを超えることが悪いことと決まったわけでもない。それは人間がどの様に未来を切り開くかにかかってゐる。かつて、アラン・ケイは「未来は予測するものでなく発明するものである」と言った。力強い言葉だと思ふ。