平家物語 巻第六 「慈心房 1」

2024-12-14 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 11 月 14 日>(赤口 壬子 三碧木星) Sten Sixten  第 50 週 第 27698 日

 

古老のいふことには、清盛公は悪人とこそ思はれがちだが、本当は慈恵僧正 (912-985) の生まれ変はりであるとか。慈恵は良源のおくり名である。第十八代天台座主で、元三大師とも呼ばれ、叡山中興の祖として後世まで尊敬を集めた。清盛公はそんな立派なお坊様の生まれ変はりだといふのである。どうしてそんなことが言へるのか。摂津国清澄寺といふ山寺がある(兵庫県宝塚市米谷)。そのお寺の住僧で慈心房尊恵といふ人がゐた。もとは叡山の学侶で、多年法華経を読誦した。ところが道心を起こして離山して、この寺で年月を送った。人はみなこのお坊さんに帰依した。去る承安2年(1172年 高倉天皇の代)12月22日の夜、尊恵が脇息に寄りかかり、法華経を読んでゐると、午前2時ごろになって、夢ともなくうつつともなく、してゐると、ひとりの男が現れた。歳は50ばかり、浄衣に立烏帽子を着て、草鞋を履き、すねには脛巾をつけてゐる。手には立て文を持ってゐる。立て文といふのは包み紙で縦に包んだ手紙のことで、いかにも正式の書状といった雰囲気がある。「おまえさん、どこから来なすったかね」と聞くと、「閻魔王宮よりのお使ひである。閻魔王からのお手紙を伝へに来たのだ。」と言って立て文を尊恵に渡した。

今日も暗い一日であった。クリスマスまであと2週間。この辺はホワイトクリスマスになるだらうか