「しのぶれど、、」と「恋すてふ、、」

2024-07-27 (土)(令和6年甲辰)<旧暦 6 月 22 日>(先負 壬辰 八白土星) Marta  第 30 週 第 27559 日

 

「しのぶれど、、」の歌は平兼盛の歌である。戦記物である「平家物語」を読んでゐてこの歌に出くはすとは思はなかった。有名な「天暦の御時の歌合」があったのは村上天皇の天徳4年(960年)3月30日のこと。この歌合せで対した壬生忠見が詠んだ「恋すてふ、、」の歌とともに、ふたつの歌は並んで人口に膾炙した。高倉天皇の御代はその歌合せから220年近くが過ぎてゐた。藤原定家は、この頃18歳前後であったが、後に小倉山荘で編んだとされる百人一首にも両方の歌が並んで選ばれてゐる。それにしても、高倉天皇はあの時、なぜご自分で歌をお詠みにならずに、古歌を引用されたのかなと思ふ。お父上の後白河院も、今様にはご熱心であられたけれども、あまり和歌をお詠みにはならなかったのかもしれない。その皇子・皇女である後鳥羽院式子内親王が華麗な新古今和歌集の世界を作られたことを思ふとやや不思議な気もする。

町から少し外れた場所だが好きな風景のひとつ