平家物語 巻第五 「咸陽宮 8」

2023-11-11 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 9 月 28 日>(赤口 癸酉 六白金星) Mårten   第 45 週 第 27304 日

 

始皇帝は「我に少しの時間をくれないか。わが最愛の后の琴の音を今一度聞きたいのだ。」と嘆願した。それで荊軻はしばらくの猶予を与へた。始皇帝は三千人のきさきを持ってゐる。その中に花陽夫人といふ琴の名手がゐた。およそこの后の琴の音を聞いては、たけき武士の怒りも和らぎ、飛ぶ鳥も落ち、草木も揺れるほどであるといふ。ましてや、今をかぎりの機会に帝にお聞かせする覚悟で泣く泣く弾くのであるから、どんなにか風情のある演奏であったことであらう。荊軻もしばし頭をうなだれ、耳をそばだてて、その琴の音に聞き入った。この時叛逆の心に油断が生じたのである。后はさらにもう一曲を演奏した。今度は「七尺の屏風は高くとも、踊れば乗り越えられるでせう。ひとすじの絹は強くとも、引けばちぎれるでせう」と演奏したのである。この歌の真意は始皇帝にはわかったが、荊軻は気づかなかった。始皇は御袖を力の限り引き切って、七尺の屏風を飛び越えて、あかがねの柱の陰に逃げ隠れた。荊軻は怒ってつるぎを投げかけた。ちょうどその日当番であった医師がすぐそばにゐた。この医師が薬の袋を荊軻のつるぎに投げ合はせた。つるぎは薬の袋をかけられながら、直径六尺のあかがねの柱に半ばまで突き刺さった。荊軻にはもう続いて投げるつるぎがない。王は立ち返って自分のつるぎを召し寄せて、荊軻を八つ裂きにした。秦舞陽も討たれた。さうして官軍をつかはして、燕丹を滅ぼした。燕丹の計画は天も許さなかったので、白虹日をつらぬいてとほらず。秦の始皇帝は逃れて、燕丹はつゐに滅びた。「中国にはこの様な話があるので、今の頼朝も燕丹と同じ様なものだらう」と平家にお世辞を言ふ人もあったとか。

外に出て気分転換をはかる。短い散歩に冷気が気持ち良い。