平家物語 巻第四 「競(きをほ) 2」

2022-12-03 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 11 月 10 日>(友引 庚寅 七赤金星) Internationella funktionshinderdagen Lydia Cornelia 第 48 週 第 26961 日

 

3日前のブログで「妥協こそは平和の道」と書いたけれども、どんなに人から侮辱を受けてもニコニコ笑ってやり過ごすことは難しい場合もある。我慢に次ぐ我慢の果てに「どうしてもこの侮辱だけは許せない」と人が思ふ時、恐ろしいことがおこる。そんな風にならないためには、何気ない普段の生活の中で、周囲の人に、相手が目下であっても、敬意を持って接することが大事だと思ふ。それはへつらひとかゴマスリとかは別のものである。そんなことを思はせるのが源頼政の決起の動機である。

 

そもそも、源三位入道頼政は、今までの年月の間不平もなしに暮らしてきたのであるから、そのまま平和な人生の後半を送ることもできたはずなのに、今年になってどんな心境の変化があって謀反をおこすことになったのだらうか。それは平家の次男前右大将宗盛卿の言動があまりにもひどかったことが原因してゐる(平家物語では次男と書かれてあったが、ウィキペディアでは三男となってゐる。平清盛の子息は、重盛、基盛、宗盛、知盛、徳子、盛子、重衡など)。いくらときめいてゐるからと言って、ただわけもなくしてはならぬことをしたり、言ってはならぬことを言ふことはよくよく控へるべきである。

もっと詳しく説明するとかういふことである。源三位入道の嫡子伊豆守仲綱のもとに、宮中にまで評判の名馬があった。体の色は褐色、たてがみなどは黒色の馬で、並み居る馬の中でも特に優れてゐた。乗り走り、心むき(性質)、またあるべしとも覚えぬ名馬であった。名を木の下(このした)と言った。このことを伝へ聞いた前右大将宗盛卿は、仲綱のもとへ使者を送った。「有名な名馬を見たいものです。」

朝が遅いものだから、やることが次々と後回しになって、散歩の時間はかろうじて残照を見る。