中学時代の修学旅行

2022-09-14 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 19 日>(友引 庚午 六白金星) Ida Ronja 第 37 週 第 26881 日

 

中学時代の修学旅行では福井から東京へ、夜行電車に揺られて行った。季節は春であった。12時間ほどかかったのではないかと思ふ。気の長い時代であった。当時は個人で旅行をする家庭はあまりなかったと思ふので、学校から団体で旅行を企画してもらへるのはありがたかった。今の時代では想像もできないが、旅館にチェックインする時に、家から持参した、確か1合のお米を集められた記憶がある。もう食糧難の時代ではなかったのだが、そんな名残があったのだ。東京に向かふ汽車は蒸気機関車に引かれて行った。静岡県あたりだらうか、工業地帯を通る時、まだ夜なのに空がボーッと明るくて工場が煙をはいてゐたのを見た。生まれた町にはない産業の振興を感じたものだった。しかし、その頃には公害防止対策といふ意識を誰も持ってゐなかったと思ふ。汽車が東京に近づいた頃、僕は窓の外を少し注意して見た。明治時代に、モース博士は動く汽車の窓から、貝塚の跡を発見したといふ話を聞いてゐたので、それはどこだらうと興味があったのだ。残念ながら、僕には貝塚の跡は確認できなかったが、大森貝塚と書かれた石碑があったのが目に入った。感激であった。後年になって、東京で生活した頃、京浜東北線東海道線などに乗っても、そんな目で窓の外を眺めたことはないので、いまでもあの石碑があるのかどうか、よく知らない。修学旅行では東京に着いたその日のうちに羽田空港見学もあったと記憶してゐる。広い飛行場も感激であった。何日目かに、箱根のあたりまで行った。芦ノ湖畔におばさん風の外人さんがゐて、当時の僕には珍しかったので、英語で声をかけてみたら、真面目に返事をしてくれて、ほんの一言、二言なのだが話ができたのは嬉しかった。今はもうあんな勇気はないな。あの時代はまだ新幹線もなかったし、不便ではあってものんびりした良い時代であったなと思ふ。

梢の高いところに夕陽がさして