平家物語「額打論2」

2020-06-07 (日)(令和2年庚子)<旧暦閏 4 月 16 日> (先勝 辛巳 九紫火星) Robert Robin Heliga trefaldighets dag 第 23 週 第 26049 日

 

昨日は少し余計なことを書いてしまったが、時代背景をおさらひするために自分へのメモとして書いた。二条天皇がお亡くなりになったのはまだ御歳23、つぼめる花のちれるがごとし。近衛帝の皇后となり、その後、二条帝に再入内された藤原多子はまたも帝に先立たれてどの様なお気持ちであったことやら。帝は船岡山に御葬送された。一天の君崩御なった時にはその御墓所のめぐりに奈良や京都の寺々が額を打つしきたりがあった。それも決められた順番に従って打つことが作法とされてゐた。最初は東大寺、次が興福寺延暦寺園城寺、といふ具合に決められてゐた。それなのに、延暦寺の僧たちは、東大寺の次にしゃしゃり出て額を打ち始めた。興福寺は黙って見過ごせない。観音房、勢至房といふ2人の大悪僧が走り出て、延暦寺の額を切って落とし、散々に打ち割った。しめやかであるべき帝の葬儀は大混乱になった。強大な寺社勢力である興福寺延暦寺は「南都北嶺」と呼ばれることがあるが、その実態は暴力団の勢力争ひに近い。平家物語の全体のテーマは無常観にあるのかしれないが、それぞれのエピソードを読む時には、どこか週刊誌のゴシップ記事を読む様な印象もないではない。今日は平家物語「額打論」までを手書きで写し終へたのでメモとして書いた。

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緑の細道を歩けば身も消え入りさうな気がする。