人間のパワーはどこまで高められるか

日 旧暦 12月6日 大安 辛丑 二黒土星 Paul Pål 3e. trett.d. V4 24092日目

NHKスペシャル NEXT WORLD 「人間のパワーはどこまで高められるか」を見て、ちょっと衝撃であった。唐招提寺の千手観音とか興福寺の阿修羅像など、日本の国宝には背中からたくさんの手がのびる仏像が多いが、あたかもその再来を連想させる様な半分ロボット、半分人間の組み合はせが可能になると言ふ。重い荷物を持ってどんなに遠くまで歩いても疲れずに行くことができたら、「そうだ京都、行こう」とか思ひ立って歩いて旅する人も増えるかもしれない。人工頭脳を人間の頭に埋め込む様なこともできるらしい。刺激的な写真を見ていやらしいことを連想すると「お前何考へてるんだ」とロボットにポカリとやられる時代が来るかもしれない。僕個人の感想で言へば、ロボットにポカリとやられるよりは女の人から「アホやねぇ」と窘められる方がずっと嬉しい感じがあるけれども。ちょっと怖いのは目や耳の感覚器官からの情報を全部機械が処理してしまふ技術である。人間の頭は目に映った情報を基にしてその中から処理すべき対象を選別して処理にかかるが、この時多くの入力情報が処理の対象から外れるらしい(その選別を主観と言ふのかもしれない)。それを細大漏らさずに機械に処理させることで、判断能力が飛躍的に高まるらしい。天才は若死にすることが多いが、それは天才がいっぺんにたくさんのことを処理できるためではないかと思ふ。忘れたいと思ってゐる恥づかしいことを機械がいつまでもしっかり覚えてゐたら嫌である。頭脳はあまり賢くならない方が人間にとっては幸せな気がする。