二上山(5月3日に更新)

土 旧暦 2 月 22 日 大安 己巳 九紫火星 Irma Irmelin V14 25260 日目

4 月 5 日午後、万葉の森駐車場に到着した僕たちはすぐに歩いて二上山に登ることにした。標高は 517 m。行けば結構斜面が急で、年齢を考へて気をつけて登らなければなるまいと思った。ともかくも頑張って頂上付近の大津皇子のお墓まで行った。大津皇子のお墓はこことは別な場所にあるといふ説もあるらしいが、あの大伯皇女の名歌、「うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせと わが見ん」がある限り、心情的には二上山にあってくれないと困る。大津皇子天武天皇の皇子である。母は大田皇女(天智天皇の長女)。天武天皇の別のお妃、鸕野讃良皇女(やはり天智天皇の皇女で、後の持統天皇)との間には草壁皇子があった。鸕野讃良皇女には草壁皇子を次期天皇にしたいといふ思ひがおありで、天武天皇崩御の後、直ちに大津皇子に謀反の疑ひがかけられて、大津皇子は自害に追ひ込まれる。この前後に、お姉さまの大伯皇女は、窮地に立つ弟を思ふ感動的な名歌をいくつか残された。壬申の乱からわづか14 年後のことで、日本史の上では再び皇位継承を巡る大事件であったと思ふ。この後、期待の草壁皇子が早逝されるといふことがあって、鸕野讃良皇女は悲しみの中で自ら即位を決めて、持統天皇におなりになった。この様な物語の舞台として、二上山に登ってみたかったのである。