働くことの意味

木 旧暦 7月17日 大安 丁酉 六白金星 白露 Kevin Roy V36 25048 日目

定年で会社を辞めてから、本来なら別の仕事を探さなければならなかったのであるが、僕は敢えて家に居る生活を選んだ。理由の第一は余りにも身の廻りが雑然としてゐて、何か新しいことを始めるにも能率が悪い、忘れ物ばかりする。それで、ともかくも、身の廻りの整理整頓の時間を確保したかったのである。理由の第二は、変に頑張って仕事をしたつもりになるよりも、じっと家に居る方が社会のためになるのではないかと思はれることもあるからである。僕は一応は技術系会社員としてやって来たのであるが、それに向いてゐたかどうかは今でもわからない。自分では一生懸命やったつもりでも、ウロウロと周囲に迷惑をかけただけであったかもわからない。自分の適性をあまり考へずに、どんな仕事でも与へられたことができなければならないといふ義務感で働いて来た感じがある。理由の第三は、これまでの人生は、「今のこの苦しみを乗り越えれば明日はきっと良くなる」と信じることの繰り返しであった。「働かざるもの食ふべからず」といふ言葉もあるが、明日のパンのために今日を我慢する構図が染み付いてゐた。そんな日々を後悔はしてゐないけれども、退職してからは、明日のための苦労よりも今日の幸せを思って見る日もあって良いのではないかと思った。その様な色々な理由から退職後も仕事をさがさずに暮らしてゐるのであるが、申し訳ない気分は確かにある。いつまで続けられるかも分からない。でも、これまで自由時間が与へられたことで、生き甲斐といふか、今の生活の質が以前と比べて格段に向上した実感があることは確かだ。これから先、機械が人間の仕事を奪ふ時代が来たら、若い人でも自宅に居るだけのスタイルが増えて来るかもしれない。それはそんなに悪いことではないと思ふ。