異国の丘

火 旧暦 5月26日 赤口 戊寅 四緑木星 Linda V25 24969 日目

「異国の丘」といふ歌がある。小さかった頃はラジオから流れてくることがあったので、何度か耳にするうちに自分でも口ずさめる様になった。作詞:増田 幸治、作曲:吉田正のこの曲がシベリア抑留の歌であると知ったのはずっと後のことだった。1945年8月9日、長崎に原爆が落ちた日に、突然ソ連は日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。そればかりではない。戦争が終はってからも、武装解除し、投降した日本軍捕虜をシベリアへ労働力として移送隔離し、厳寒の劣悪な環境のもとで苛烈な労働を強要した。その数ははっきりとは分からないが、 100 万人とも言はれてゐる。Wikipedia の記述によればこのうち約34万人が死亡したとされてゐる。生き残ったのは頑健な体力と精神力を持つ人に限られた。その後、10年ほどの長い時間をかけて抑留者の日本への帰国が進められたが、一部には現地に留まった人もあったといふ。実際にそんな人が今もロシア北西部に生きてゐるといふニュースをみて、驚いた。当時の日本兵士は「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩き込まれてゐたので、戦争が済んだとはいへ、捕虜となって生き延びることに罪悪感があったらうと思ふ。労働力が欲しい収容所の幹部からは「日本に帰れば祖国の裏切り者として厳しく迫害される」と脅されて、その言葉を信じ、ロシアでの残留を選択したといふ。その望郷の思ひや如何に。戦争の爪痕は 72 年後の今も人の心に残るものと知る。シベリア抑留の体験者は概して多くを語らない。僕らは彼らの苦難の日々を「異国の丘」から想像するほかはない。