憲法とは何だらうか

土 旧暦 4月11日 友引 癸巳 六白金星 Marit Rita V18 24924 日目

安倍首相は 2020 年に新憲法施行を目指すと、数日前に発表した。日本で大災害が多発したこの何年かの間に、自衛隊の果たした役割は大きく、広く国民の信頼を得てゐる。ー「自衛隊違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任だ。私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、「自衛隊違憲かもしれない」などの議論が生まれる余地をなくすべきだ。ー といふのが安倍首相の論旨である。だが、その様な局面からだけ憲法改正を考へると間違ふと思ふ。何かことが起きると、「国民の生命と財産を守る」との甘言に僕たちは惑はされがちであるが、明日は何が起きるか分からないこの世で、真に自分を守るのは自分しかゐないとまづ覚悟せねばなるまい。先の大戦は、実に愚かしい戦争であった。その歴史を紐解けば、国家が国民を守ってくれることなど全くなかったのである。日本があの時代に逆戻りしないためにも憲法に手を加へてはならないと思ふ。安倍首相は何もそんな極端なことになることはこれから先の日本にあり得ないと考へてゐるが、恐ろしいのは世論といふ名の民衆のうねりだ。憲法改正は、その変な民衆のうねりを引き起こす引き金となる危険をはらんでゐる。ある一線を越えれば、あっといふ間に世論は炎上するものだ。それは安倍一強の権力を以てしても抑へられるものではない。ことがオーバーランしてから、「私は何もそんな意図で憲法改正をしたのではない。そのことは君たちもよく分かってくれるだらう」と後になってから弁解されても困るのである。

そもそも憲法とは、形としては法律の様に見えるが、その実態は、理念を説いたものだ。それは「和を以て貴しと為す」といふ推古女帝の時代の十七条憲法以来変はらない。理念や理想を説いたものである以上、現実との間に乖離があっても自然なことだ。むしろこの食ひ違ひはどこからくるのだと絶えず自分に問ひかける態度こそ大事なのだ。多くのことを自衛隊に頼って居ながら、自衛隊違憲であるといへば、人々は落ち着かず、居心地が悪い。しかし、まさにその居心地の悪さを耐え忍ぶ行為の故に平和が得られてゐると言って良い。その意味では「〇〇は違憲だ」と言って裁判所が憲法に介入してくるのは、司法の僭越といふものだ。よその国から日本を眺めた時、「あの国は自衛隊を持ってるけど、理念としては、戦争の放棄を高く宣言する国だよ」と思ってもらへることが、どんな軍事力の増強よりも、強力に安全保障に寄与することを思って欲しい。