電話の思ひ出

火 旧暦 1月4日 仏滅 戊午 一白水星 Ivar Joar V5 24829 日目

僕は自分の家に初めて電話がついた時のことを覚えてゐる。中学生であった。受話器にダイヤルはなく、交換手に電話番号を告げて繋いでもらふ方式であった。わづか10キロ離れた隣町でも通話を申し込んでから30分ほど待たなければならなかった。電話代は高いと聞いてゐたので、限られた時間内で要件をまとめて話さなければならない。これにはものすごいストレスを感じて、電話がかかってくると頭が真っ白になった。僕は電話は嫌ひであった。この感じは今の若い人には分からないかもしれない。似た様なことはスウェーデンに来てからもあった。当時はインターネットもスカイプも電子メールも無かったから、会社から日本へ電話をかける時は、もしそんなことがあるとすればの話だが、交換台を通さなければならなかった。30年前にはまだ電話の交換手といふ職業があったのだ。国際通話料金は高いので、電話で日本に要件を伝へることがもしあったら、何をどんな順で話すべきか分からなかった。私用の電話をかけることなど思ひもよらなかった。今の時代は、メールやSNSがよく使はれて、やはり電話はあまり使はれない様であるが、それは、電話代が高いからではなく、いきなり相手の時間に割り込まない配慮からであろうと思ふ。どうしても話したい時は、時刻を予約して通話することも一つの方法だ。僕らは技術の発達史の著しい変化の時代を生きてゐると改めて思ふ。