「もんじゅ」の廃炉に思ふ

水 旧暦 8月21日 仏滅 丙午 六白金星 Matteus V38 24686 日目

今日の新聞記事によると、「もんじゅ」はやはり廃炉になるらしい。20世紀から引き継いで巨大な予算を費やして来た技術は結局頓挫したことになる。この先、展望も無いままに、さらなる無益な費用をかけるわけにもいくまい、といふ判断だと思ふ。それでも国の基本方針として核燃料サイクルは推進するとはいふが、でもどうやって?といふ疑問は残る。そもそも「もんじゅ」「ふげん」は命名の仕方から間違へてゐたかもしれないとも思ふ。高邁な物理学の理論に強い人たちが集まって、現場的な実際感覚に弱かったことはないのだろうか。きつい見方かもしれないが、日本に原子力がもたらされてからの半世紀の間に、核燃料サイクルについては何の進展もなかった、とみなされても仕方ないと思ふ。「50年前の振り出しに戻る」すごろくゲームにも見える。この50年の間に、コンピュータは長足の進歩を遂げた。インターネットなどの通信技術も発達したし、自動車産業でも電気自動車や自動運転が実現されつつある。ロボットの躍進もすごい。衛星の打ち上げやロケット開発だって巨大予算を使ふ国家プロジェクトから民間宇宙技術に移行する傾向を見せてゐる。医学の発達も目覚しいものがある。けれども、原子力をめぐる技術の開発に関しては、過去50年間にどれだけのブレークスルーがあったかなと思はないでもない。「要求強きところには必ず方法が見出される」といふ観点から見れば、要求が弱かったのかもしれない。これからの時代はこれまで以上に「電気の時代」になると思はれるのだが、、。