日本語のアルファベット

火 旧暦 8月20日 先負 乙巳 七赤金星 Elise Lisa V38 24685 日目

「英語のアルファベットに相当するものとして日本語にはひらがな・カタカナの五十音がある」と日本語を学ぶ外国人はあまりにも単純に思ってしまふ事はないだろうか。英語では26文字のアルファベットは素材としての文字であって、あたかもレンガで建物を築く様に、素材を組み合はせて意味のある語を作っていく。素材そのものに意味はない。”a” は例外かもしれないけれども。ところが日本語になると、例へば「き」といふひとつの音を聞いた時、それはもうそれだけで意味をなすことがある。「木」かもしれない、「気」かもしれない、「黄」かもしれない、「機」かもしれない、「紀」かもしれない。その他たくさんの「き」があるわけで、人はそれらの中から意味を選びとっていく。一音に既にたくさんの意味が重畳されてゐる。既にそれは素材ではない。英語だと例へば ”t” だけでは何の意味もない。素材がいくつか組み合はされて構造を持った時に初めて意味が表れてくる。音といふものも、「ド・レ・ミ」などの音の素材の組み合はせで音楽が生まれる。ところが日本の音は、一音に既にメッセージがありうる。こないだ、武満徹の本を読んでゐて、それに近いことがあちこちに書かれてゐたが、日本語と外国語とのこの違ひは出発点から大きく違ってゐると思ふ。話は飛ぶが、万物は元素から出来てゐるといふ自然観は正しいに違ひないのだが、その元素も今ではクォークなどのより根源的な素粒子で構成されると言ふ。科学の発展は「唯物論は正しい」といふ結論に向かって進んでゐる様に見えるが、果たして本当にさうなのかと、英語と日本語の違ひから思ってしまふ。