サラリーマンの後遺症

金 旧暦 8月13日 友引 甲辰 八白土星 Tryggve V39 24334日目

その昔、日本の会社で仕事をしてゐた頃は家に居る時間が少なかった。家に居る時間の殆どは寝るばかりであった。一方、やるべきことの中には、家に居なければできないこともあった。家に居る自由時間は、家に居なければできないことからまづやる様に心掛けた。すると、本を読むのは外ででもできるので、いつからか、家では本を読まなくなった。仕事場で本を読む訳にはいかないから、結局、本は通勤電車で読むだけのものになった。そのうちにスウェーデンに転職した。家と職場とを自転車で往復する様になった。あたりにはスタバの様な場所もないし、本を読むために一周出来る山手線の様な便利な電車もない。家に帰ると、時間はタップリある筈なのに、変な癖がついて他のことから始めるので、次第に僕は本を読まない人間になった。さうして、定年を迎へた。いよいよ時間はたくさんある筈なのに、今度は家でやるべきことの方がさらに膨らんで来て、それはそれで後悔はしないのだが、何か違ふ気がする。日本へ来て、しばらく一人きりの暮らしをしてみる。昨日はランチを、自分で作らずに外で食べてみた。「家を出れば本が読める」といふ積年の条件反射がひとりでに働いた。食事を注文してから配膳されるまでの短い間であったが、結構集中して本が読めた。それで、僕は本を読むためには家を離れなければならないのだ、といふことに思ひ当たった。家でも本を読める様なライフスタイルに仕向けるには、その定着になほ時間を要するものと思はれる。サラリーマンの後遺症である。