かめれおん日記

火 旧暦 10月18日 先負 甲寅 一白水星 Anna V50 24045日目

日本経済新聞日曜版の「半歩遅れの読書術」のコラムで小峰隆夫氏が青空文庫のことを紹介してゐた。それで久しぶりに青空文庫を開いてみると、確かに昔より遥かに充実の度を加へてゐる様である。さらに「えあ草子」など機械上で読みやすくするテクニックも用意されてゐた。中島敦の本も31冊公開されてゐる。今日はその中から「かめれおん日記」を読んだ。読んで行くうちに、密かに僕の過去にも思ひ当たることがあるのではないかと、共感できるところがあった。例へば、「失望しないために、初めから希望を有つまいと決心するやうになった」と言ふところは、過去の自分の身に確かに覚えがある(今はそこを脱出して少し希望を持って生きてゐるけれども)。だが、もっとすごかったのは、そのもう少し後に出て来る次の一節であった。「幼い頃、私は、世界は自分を除く外みんな狐が化けてゐるのではないかと疑ったことがある。父も母も含めて、世界凡てが自分を欺すために出来てゐるのではないかと。そして何時かは何かの途端に此の魔術の解かれる瞬間が来るのではないかと。」まさにこれとぴったりの疑問を僕も子供の時に思って、学校から家に帰るのさへも恐ろしかった記憶がある。孤独と云ふものを実感する始まりであったかもしれない。斯様に自分の原体験を説明してくれる部分に触れた時は嬉しかった。中島敦は高い漢文的教養の人であった。あの様な優れた漢文の才能に恵まれた人がこの先の日本にまた出現してくれるだらうか。出現するかもしれない。だが、読み手の多くはそれを理解しないままに済んでしまふだらう。