吉田調書の公開

金 旧暦 8月19日 友引 丙戌 八白土星 Åsa Åslög V37 23956日目

吉田調書についての記事が新聞に大きく取り上げられてゐた。僕らは今、結果を知ってゐるから、原子炉への海水注入を実行したことについて納得がいくけれども、会社の非常に大切な財産である原子炉がこの先もう使へなくなると言ふ重大な諦めを、事故の進行するどの時点でどう決断するかは想像を絶するほどのストレスであった筈である。かういふことは本店と相談すると言っても、本店だって状況を把握してゐる訳ではないし、結局は現場の判断でやるしか無いことになる。本店、首相官邸と現場との間はちぐはぐであったが、それはああいふ状況では必然的にさうなるものだ。結果を知るものが利いた風に危機管理がなってないと批判するのは簡単だ。危機への即応力を高めるには連絡体系を強化することではなく、各現場に優秀な人間を常に配置しておくしか方法は無いと僕は思ふ。何としても拙策であったのは首相自らが現場に乗り込む愚を犯したことである。首相のパーフォーマンスのために如何に現場が苦しみ、状況をさらに悪くしたかについて、要路の人は深く反省して欲しい。吉田氏は言った。「遅いだ、何だかんだ、外の人は言ふんですけれども、ではおまえがやってみろと私は言ひたい。3プラントも目の前で暴れてゐるやつを、人も少ない中でやってゐて、それを遅いなんて言ったやつは、私は許しませんよ。」まさにその通りと思ふ。僕にはその思ひが痛いほどよく分かる。吉田氏はその戦ひを終へると、間もなく力が抜けた様に逝ってしまった。その鎮魂のためにも彼の言葉をしっかりかみしめたいと僕は思ってゐる。