「住む」と言ふこと

火 旧暦 5月6日 仏滅 乙巳 九紫火星 Ingemar Gudmar V23 23855日目

僕の尊敬する大野先生は、何の書物であったかは忘れたが、「住む」と「澄む」とは同根であると言はれた。あちこち動き回るものが一つ所に落ち着き、定着することが元の意味であると言ふ。コップに砂と水を混ぜて机に置くと、砂は次第に沈殿して、透明な水が上部に残る。そのことと「住む」こととには語源的につながりがあると言ふ。分かる様な気がする。僅かふた月ほど家をあけただけであるが、生活をもとの日課に戻さうとするにもどこか動きがぎこちない。例へば部屋の掃除の手順の細かい要領が自分なりにいつからか決まってゐて、その再現を試みるに、頭では分かってゐるのに行動が付いて行かず、自分の家である筈なのに慣れるのに時間がかかる。せっかく水が澄んで来たのに砂がもう一度かき回されてしまった時の感じに、さう言へば似てゐる。二つの国を頻繁に行ったり来たりするのは、気分を新たに出来る効果はあるが、ずっとここに住んでゐるとは言ひがたい感じがある。地球上のどこに居ても、心の中に落ち着いて澄んだ世界を維持出来るかどうか、自分に問ふてみることも無意味ではないと思ふ。