雑巾の誇り

日 旧暦 6月28日 先負 壬寅 七赤金星 Arne Arnold V31 23553日目

絹のハンカチには絹のハンカチとしての誇りがあるように、雑巾には雑巾としての誇りがある。これまでタオルとして使っていた布地が古ぼけて来たからと言って、それを雑巾にしようという考えは、初めから雑巾として世に送り出された生え抜きの雑巾に対して失礼ではないか、ということを思う。一番たちが悪いのは、見かけは手拭と変わりないのだがそれが実際には雑巾として機能する場合である。雑巾は誰が見ても一目でこれは雑巾だと分からなければ雑巾の資格はない。だから、古いタオルを雑巾にする時には、見るからにそれが今や雑巾であることが分かるような縫い繕いの儀式がいるのだと思う。ヨーロッパの湯殿には普通、風呂桶が無いが、四半世紀前、日本から引越した時の荷物に入れてあった風呂桶を僕は今でも後生大事に持っている。それを浴槽の縁に置く時に、固い音が出てしまうのが嫌で、雑巾を敷いているのであるが、その雑巾が如何にもみすぼらしい気がしたので、それ用の雑巾は無いかとお店で探して買って来てみたら、えらく同居人に褒められた。使えるものは何でも使おうという、ケチ一点張りの僕に新しい雑巾を奮発する度量のあったことがうれしかったらしい。湯殿や台所は生活の様子がどうしても現れてしまう場所で、そこを如何に美しく保つかと言うことは暮らしの中で意外と重要な気がする。たまには生え抜きの雑巾に頑張ってもらうこともその方法の一つであると思う。