日本語をめぐる裁判の話

金 旧暦 5月20日 赤口 乙丑 八白土星 Leo V26 23515日目

NHKはその放送番組の中で外国語を乱用してけしからんと言って裁判を起こした人がいる。気持ちは分からないでもないが、裁判沙汰にするのは行きすぎである。日本語の問題を裁判で決着をつけようという試みが既に日本語の世界から遠いような気もする。あまり一般的な訴えを起こすのではなく、どの番組でどのアナウンサーのしゃべったどの言葉をこう直して欲しいと具体的に例題を挙げて訴えるべきではないかと思う。アナウンサーが使った言葉の改善要求全集みたいな本を書いて発表したらどうだろう。放送日付と番組名も併記する。あるいはウエブ上で改善案を人々に評価してもらうのも良いと思う。日本語を大切にしようという気持ちは良く分かるが、言葉は生き物のようで、自然の流れは変えられないものでもある。ある表現が、本来の使い方からするといくら誤用であっても、もし万人がそういう使い方を認めてしまえば、誤用であると主張するものの方が頑固であるということになってしまう。言葉とはそれくらい民主的なものであるとも思う。美しい日本語が消えていくといって嘆く必要もあまり無い。美しい言葉は美しい心からしか生まれないと思うし、人に美しい心が続く限り、それを言葉で表現しようとする動きは消えることが無いだろう。新しい美しい言葉も生まれ得ると思う。消えたはずの美しい日本語が古典の中でよみがえることもある。その時が来たらそれをまた再評価すれば良いのだと思う。