やすらぎ

日 旧暦 5月1日 大安 丙午 一白水星 新月 Börje Birger V23 23497日目

ストックホルム郊外に「やすらぎ」という名の、日本の温泉をイメージして造られた保養施設がある。その内装設計には、割と最近亡くなられた、この街在住であった日本人建築家のご努力もあったと聞いている。この施設が営業を開始して久しいが、僕はまだ利用したことが無かった。同居人が「是非行くべきだ」と勇ましく勧めるものだから、今日は傷の湯治も兼ねて、同居人とふたりでそこを訪ねてみた。家を出る時は、遠くに雷がなったり、時々強い雨が屋根の上を通って行くような様子であったが、北に向かってドライブを進めるにつれて、空の色が雨上がりの明るさを増して来た。こういう空の色はかんかん照りの夏の空とは違った風情を醸すものである。今、「やすらぎ」の部屋でこれを書いているが、窓の外に広がる空は北欧の夏の夕暮れに特有の美しい淡色に染められている。施設はちょっとした岬の先端に位置していて、対岸の島との間の海峡は、フィンランドやロシアへ往復する船の航路にあたっている。入江には波もなく、潮の流れも無いために、その鏡のような水の面を騒がせるものは、時々汽笛を鳴らして行き来する大きなフェリーや小さな船より他には無いのであった。

スウェーデンにも彼方此方に温泉に近い体験をさせてくれるホテルはあるが、大抵はどこでも水着を着けて男も女も同じ湯につかる。ところがスウェーデンにあってこの「やすらぎ」だけは男湯、女湯が別々になっていて、生まれたままの姿でお湯を使うことができる。たった一枚の薄い水着でも身に付けなければ入ることの出来ないお湯など、僕には温泉ではない。ここはその点、非常に有難く思われた。風呂は全裸で入るものであるという、人類に普遍な文明の基礎を、雄々しくもこの施設は、異国の地で発信している。普通のスウェーデン人には使い勝手が違うものだから、チェックインして来た宿泊者に対して、施設の使い方の説明会が時間を決めて開かれていた。行ってみると、係の女の人が広間に人を集めて座らせている。両手を広げてやっと抱えられるような大きな鉢形のおりんがあって、前に立つその人がいきなりそれを鳴らすと、懐かしいような音色があたりの空気を静かに震わせて部屋に響いた。やがてその振動が静寂に向かってゆっくりと減衰して来た頃に、「ヴェルコンメン、、、」と言って説明が始まるのであった。何だか味わいがあった。簡便にビデオを流すだけの館内案内とは一味違った工夫がなされていて、感心した。その人は風呂場の木の椅子と桶の使い方や掛け湯の仕方を説明した。浴衣の着方やそれを持ち帰って良いこと、館内の食堂でも浴衣のままで利用して良いことなどを説明した。身体の洗い方も体内の血液循環を良くするにはこのようにした方が良いなどと説明していた。ここの施設の何もかもが日本的という訳には行かないが、かなり日本に近いものをここで体験できると思った。同居人によれば、浴衣の丈が短くて子供用であるみたいだとか、食事のデザートの器など日本的ではあるが、仕切のあるその器一杯に、ブルーベリーやらアイスクリームやら苺やら所狭しと盛ってあって、これは寧ろ西洋皿に間をおいて並べた方が美しいなどと、批評していた。温泉と水泳と散歩と食事とで、本当にゆっくりとした午後のひとときを過ごすことができた。明日の仕事はふたりともお休みをいただいている。午前中に同居人はヨガのコースに行きたいと言っている。僕は禅瞑想なるプログラムに参加してみようかと思っている。