ブラリブラリの日曜日

日 旧暦 4月10日 先勝 乙酉 七赤金星 Maj Majken Pingstdagen V20 23476日目

Pingstdagen.同居人は朝は教会へ行き、午後は仕事に出かけた。僕はブラリブラリの日曜日を過ごしてしまった。「そういう日も大事よ」と同居人は得意そうに言う。だが、人間は平和のうちに生きるとどうしても気が緩んでくる。気が緩むと少し先に待ち受けているかもしれない危機に敏感になれない。「奢れるものは久しからず」と分かったようなことを人は言うが、自分の心がどれだけ奢っているかを正確に知っている人は意外に少ないのではないかと思う。かく言う自分も無論分かっていない。「奢れるもの」とは、自分がどれだけそうであるかを知らないものの言いだと思う。先の大戦の最中には若者は皆、兵に取られた。良くも悪くもそこには明快な危機の意識があった。戦後の日本はまことに平和で「昭和元禄」などと呼ばれる時代もあった。ある意味でそれは奢りの時代であったと思う。平成に移ってからは阪神大震災東日本大震災など天変地異の形で平和が脅かされるようになった。明日はどんな危機が襲ってくるだろうか。それらは自然現象であるから不可抗力であると思いがちであるが、そうばかりとは言いきれない気もする。大都会では更なる超高層ビルの建設や都市開発が盛んに進められている。高度な免震技術なども発達しているらしいし、高度な文明都市ができるのは素晴らしいと思う反面で、内心では災害時に本当に大丈夫だろうかとも思う。もしも次に大規模災害が起こったら、それは壊滅的な通信機能の喪失と大規模な電力不足とを伴って起きるのではないかと要らざる心配をしてしまう。悪いことを考えるのはよそう。ブラリブラリの日曜日はやはり良くない。散歩にでも出ようかと思ったが、あたりが霧に包まれるように湿っぽいのでやはり家に居た。