転倒の理由

火 旧暦 3月28日 赤口 癸酉 四緑木星 Carina Carita V19 23464日目

同居人はやっぱりお医者に診てもらった方が良いだろうと言って、Vårdcentralen に電話してくれた。電話で申込みをすると1時間かそこら待った頃に向こうから電話がかかってくるのであるが、家の電話器が不調で通信が途中で途切れてしまって、かけ直してくれないとまた申し込みしてさらに待つようなことになって至極不便なのである。僕はもともと病院へ行くのは嫌いであるし、電話も苦手なのであるが、同居人が細かくやってくれてとうとう今日の午後、診てもらうことができた。医者は僕の肩の傷を見て、「ボクシングでもやったみたいじゃないか」と言った。「名誉の負傷でないのが残念です」と応じたかったが、言葉が浮かばない。「記憶を喪失したのはどれくらいか」と聞かれて、「1時間くらいです」と答えた。レントゲンを取った方が良いと言うことになって、何やらコンピュータに打ち込んで病院に連絡をしてもらえたので、明日にでも病院へ出かけてレントゲンを取ってもらうことにした。仕事はしばらく休むべきだが身体は動かせる範囲で動かした方が良いとも言われた。良い医者だ。薬の処方箋も出してもらえた。同居人はこれだけのことを済ませてから家まで僕を送るとまた仕事に出て行った。それにしても、日曜日に仕事に出ようなんて考えなければ昨日も今日も仕事が出来たのに、馬鹿なことをしたために却って仕事を遅らせてしまった。自分の不注意に違いないが、自分の不注意で被害を受けたのが自分であったからまだ良かったと思う。これが他人を傷つけていたらまた大変な負担を背負うことになってしまう。自業自得ならまだ諦めもつく。不幸中の幸いである。あの日、あの時、なぜ、自転車のスピードを緩めなかったかと反省してみると、癇がたっていたからだ。随分昔の出来事で、取るに足りないようなささいなことであるのに、思い出すたびに癪に障ることがあって、そんなことを思いながら自転車に乗っていたものだから、スピードが出た時に、年甲斐もなく、ついゴーゴームードになった。そして転倒した。このように事故には必ず原因がある。注意一秒怪我一生というが、ほんの一瞬の心の不安定が事故の原因となりうるから気をつけねばならないと思ったことだった。「怒りは敵と思え」という言葉もある。修行はまだまだである。