震災から2年

月 旧暦 1月30日 赤口 丙子 一白水星 Edvin Egon V11 23407日目

また3月11日が来た。あの日は金曜日であったが今年は月曜日である。わずか2年前の出来事であるが、直接被災しなかった多くの人はもうあの出来事を忘れている。あの時、恐ろしい津波の映像が繰り返しテレビで流れた。災害の状況を目の当たりに見て、ものの見方、考え方を根本から修正したはずの人も、多くは震災以前の普通の生活、普通の考え方に戻っている。そうして口先だけで災害を忘れてはいけないと言っている。僕自身もそのひとりだ。愛するものを奪われた人、故郷を追われて帰れない人の苦しみは体験しないものには分からない。だからえらそうなことは何も言えないのであるが、日本がこれ以上の災害を被らないために、僕は大都市に集中した人口の分散化を早くすすめるべきであると思う。それなのに現実は反対に集中化が進んでいるように見える。超高層住宅などがどんどん増えている。それは耐震設計がなされているかも知れないし、繁栄の象徴のようではあるけれども、災害の時が心配である。ポンプやエレベーターが動かなくなった時、飲料水や食料をどうやってはるか上の階まで運ぶのだろうか。また、災害の時にメールやツイッターなどが有効な道具であると認識している人が多いが、災害の中心部では電波も届かないし電気も水も無い。道路も寸断されて物資の輸送も途絶えてしまう。メールやツイッターなどが有効であるのは、比較的被害の軽い、災害の周辺部だけのことである。水、食料、電気、薬、毛布。防災の基本は細かい地区毎の備蓄にあると思う。個人としても普段からある程度の備蓄が必要であると思う。