修行の場

月 旧暦 1月2日 友引 戊申 九紫火星 建国記念の日 Yngve Inge V7 23379日目

深山幽谷、というものが現代に残っているかどうかは分からないが、日本の各地には山にこもって荒い修行をする人たちが今でもいると思う。偉いとは思うけれども、もしも、彼らが世を厭い、社会との交わりを絶って修行するのであれば、どうだろうかとも思う。「世をすてて山に入るひとやまにても なほうきときはいづちゆくらん」という愚痴のような歌もあるが、社会との交わりを絶ってしまえば、もうそれだけで人は随分楽になれると思う。オタクもある意味では世捨て人と変わらない。僕もスウェーデンに移って来た頃にはインターネットも無かったし、日本の情報と言えば、時たま出張で訪れる人が置いていった週刊誌などが唯一の手がかりであった。その意味では僕は日本の社会との交わりを絶っていたわけで、確かに楽なことは多かった。その分、修行はしやすかったとも言える。でも、修行というものは世の中で生活し、色々と悩むことも多い中で修行してこそ意味があるのだろうと思う。出家の修行と在家の修行とどちらがつらいだろうかと思うのは、出家の修行の厳しさを知らぬ人間のたわごとだろうか。