作文の時間

水 旧暦 12月19日 赤口 丙申 六白金星 Gunilla Gunhild V5 23367日目

渡辺淳一の「履歴書」に、「一人前の作家を目指すなら、行季にいっぱいくらいの原稿をストックしておかなければ駄目だぞ」と、いわれた話が出ていた。同人雑誌の仲間の言葉である。もの書きは大変だろうなと思う。僕はブログを書いているが、何を書くかは毎晩机に向かってから考える。というか、考えるふりをしてぼんやりとする。ストックなどはひとつも無く、すべてその日の思いつきに基づく営みである。何も浮かばない日はその時間は結構長く無駄になってしまうのであるが、人生にこういう無駄時間は実は無駄ではないのではないかとも思う。たまに同居人から「今日は何について書くの」などと声をかけられると、机上の白紙を両腕で隠した小学校の作文の時間を思い出してしまう。何も浮かばなければ何も書かずにスキップすれば良いのであるが、心のどこかで、「お前は今日一日生きていて感じることが何も無かったのかい」という声がして、それにうなずくのが癪で何かを書こうとするのである。書きたいというほとばしるような情熱を持って書けば下手の文章でもそれなりに訴えるものを持つのであろうが、書かなければ、と思って書くので余計変な文章になる。変な文章でも無理に毎日公開することと、良く書けたと思う日だけ公開することと、どちらが良いのか僕には分からないが、推敲して良くなるような文章にも思えないし、第一自己評価がむつかしい。結局恥も外聞も無く全部公開してしまう。それでも心優しい友達の中には何かの折に「読んでいるよ」と慰めてくれる人がある。本当に優しい人たちである。ありがとう。