One for all, all for one. 続

水 旧暦 12月12日 大安 己丑 八白土星 Frej Freja V4 23360日目

僕が日頃から尊敬するウレギス先生などは英語俳句をやっておられるが、英語で何かを短く表現するとなると、S+VとかS+V+Oとかの文法から、表面的に離れていくこともあるのではないかと思う。昨日書いた "One for all, all for one" も主語はどれですか、述語はどれですかと聞かれても答えられないけれども、その意味するところは良く分かる。日本語の文章には主語がなくて分かりにくいという批判もあるのか知れないが、話し手と聞き手の間で既に了解できていることにわざわざ冗長な説明を加えることはないのである。洗練された言語とはそういうものである。人はキーワードだけでも会話が出来る。漢文などはキーワードだけ並べているような感じもする。一般にどんな言語でも詩とは文法から離れた表現を取るのではないか。日本語が英語のような構造の文法体系を持たないのはそれが最初から詩歌の為に用意された言語であるからだ。英語にだって主語の無い場合はある。例えば、Margaret Mitchell の"Gone with the wind" これはやはり、"Something has gone with the wind." の略であろうと僕は思う。その全体を書いてしまえば文学のタイトルにならない。その略されている部分を補って考えることが鑑賞であると言うなら、日本語に主語が無い場合があるのはおかしいなどとは軽率に言えない筈であると思う。"One for all, all for one"から変な展開になってしまった。