就職活動解禁

土 旧暦 10月18日 先負 丙申 一白水星 Oskar Ossian V48 23307日目

日本の新聞に就職活動解禁のニュースが出ていた。この3月に卒業する人のためかと思ったら、もう1年先の卒業に備えて就職活動を始めるというので驚いた。学生として大切な最後の1年数か月を勉学に専念できずに就職のことを心配しなければいけないのであれば、何のための大学か、何のための学問か、という気がする。外国の大学に負けてしまうのではないかとも思う。が、それを学生たちの心得のずれのせいにしてはどうも酷なようなのである。そうしなければ大学は卒業できてもまともに就職ができない現実があるらしい。大学の就職予備校化は簡単に批判できない一面がある。もしも自分がそういう立場に立たされてしまえば、やっぱり同じようにやらなければならないんじゃないかと思う。僕らが若かった時とは状況が全然違うのである。短い面接を受けるだけですぐに採用してもらえた自分たちの若かりし頃の体験をもとに今の状況を批判しても、それは批判する方が間違っている。昔はコネで就職できる人もいたかもしれないが、今はそういうことは出来ないのでないかと思う。今はネット社会であるので、会社側は大学別に枠を設けるようなことをしないで完全にオープンな全国から本当に優秀な人間だけを集めることが可能なのであろうと思う。この頃は外国人学生も採用されるケースが増えている。学生にとっては大変だろうと思う。ただ、いつの時代でも、本当に必要な人は状況に関係なく求められるものであろうとも思う。スウェーデンでの新聞にも「技術者が不足しているという。それなのに就職は難しい」というような見出しの記事をちらりと見かけた。本当に求められる人間になれるかどうかは、これからの1年の小手先の努力で決まるのではなくて、多分、出発点でもう勝負は半分以上決まっているのである。それは専門知識もさることながら、小さい時から家庭でどんな躾を受けて来たかとか、どんな本を読んできたかとか、どんな生き方を自分は理想としているかとか、どんな価値観を美しいと思うか、というようなこととも関係しているのではないかと、漠然と僕にはそんな気がしている。