スマホの時代

月 旧暦 10月6日 先負 甲申 四緑木星 Elisabet Lisbet V47 23295日目

新聞などを見ていると、高機能携帯電話(スマホ)を持っていなければ、社会から取り残されそうな感じがある。文明の中で生きていると、自分ひとりがいくらある方針を固持しようと頑張っても駄目なことってある。例えば、「私はエレベータを使いません」という方針で生きるくらいなら実現できるかもしれないが、それとても訪ねる先が高層ビルであったりすると、その時だけは例外にせざるをえない。「私は冷暖房装置を使いません」という方針も実行するのは難しそうである。情報関係になるといっそう難しいような気がする。スマホで一体何ができるのか、という疑問への回答は、僕のようなものには、使ってみてからしか分からない部分がある。こういうことができるはずだからと計画して買うのではなくて、何か知らないけど買って使ってみたら、なるほど、こういうこともできるのか、と次第に分かってくるのである。今日など近くのスーパーマーケットのサフランの割引券がチラシに入っていた。普通はそれを切り取って手に持って買いに行くのであるが、アプリをダウンロードしてログインしてQRコードを読み込むといつもの買い物カードでひとりでに割引になります、と書いてある。それならいっそ手続きなしで全員に割り引いてくれたらどうかと思う。この頃はO2O (Online to Offline)というサービスがキーワードになっている。online とは電子計算機の世界で offline とは実際にお店で買い物をする世界をさす。電子クーポン券などあらかじめ情報を入手した人が有利な買い物ができる制度である。それに関連して無料通話の LINE がすごい勢いでユーザーを広めていると言う。Skypeとか Facebookとかが完成した技術として成功している後に現れて、それまでに無かったサービスを広めてヒットするというところが、何とも僕には不思議な気がする。僕はこれまでに機械のイノベーションで自分の人生が変わった、と思われる時が3回あった。最初はクオーツ腕時計が現れたとき、2度目はPCを使うようになったとき、3度目はタブレットを使うようになったときである。技術の進歩はすごいと思う。しかし、人間として、本当に重要な判断をしなければならない時に、スマホは何も教えてくれない。