日記を書く時間

水 旧暦 8月4日 大安 癸未 二黒土星 Fredrika V38 23234日目

日本人は日記の好きな国民である。外国にも「アンネの日記」とか、エッカーマンの「ゲーテとの対話」とか、色々とあるようだけれども、日本の場合は大昔から日記がひとつの文学のジャンルをなしている。その影響もあるのかどうか分からないが、日記をつける人は多いようである。たいていの人は夜寝る前につけると思うが、僕は一日分を夜まで覚えておくことが出来ないので、割とこまめに数時間毎につけることが多い。夜は疲れてしまうので、とても日記をつける気力が無い。朝会社に行ってから、電子計算機の電源を入れて起動が完了するまでの時間にもよく日記をつける。何時何分に何をした、ということをメモするだけの日記である。仕事をした、という一般の書き方を僕は嫌っている。何々の件で何をどうした、と言う風に詳しすぎない程度に具体的な作業内容をメモすることにしている。若い時から未来に向けてビジョンを持ちたいと思っていたが、ビジョンを持つことは難しいと思った。言葉にどう表わしてよいかも分からない。それならば、過ぎたことなら何をやったのか表現できるだろうかと自分に問うてみると、それも何だかおぼつかない。ビジョンを語ることが出来ないなら、せめて過ぎ去ったことを言葉で説明する練習をしてみようと思い立ってつけ始めた日記である。もう10年くらい続いているだろうか。日々の暮らしをあまりに克明にリアルタイムで実況中継するように日記をつけると、私はまさに今、書いてます、書いてます、というような説明になってしまうので、数時間に一度書くのが良い。暇な日も忙しい日も不思議と文庫本の1ページに1日分を納めることができる。明日の日記を書いてしまってから、それにあわせるように暮らしてみたいと思ったこともある。でも、やはりそれはできなかった。美しい女の人に街で会った、目と目があった、とか書いてもその通りにならないからだ。やはり僕にはビジョンを持つのが難しい。