Dubrovnik散策

月 旧暦 5月20日 赤口 辛未 二黒土星 Jörgen Örjan V28 231541日目

Dubrovnik といえばクロアチアで最も有名な都市であろう。首都Zagrebよりもあるいはその知名度は高いかもしれない。そのDubrovnikへ足を延ばすオプショナルツアーがあったので参加した。といっても午前中はプールサイドでゆっくりして過ごし、ホテル前をミニバスが出発したのは午後1時であった。MakarskaからDubrovnikまで約200kmくらいあるだろうか、道路はくねくねとしていて、その分時間はかかるが美しい海岸線は変化に富み、目的地までの3時間のドライブは決して退屈ではなかった。クロアチアアドリア海に沿った海岸線を南北に細長く占めていて、その東側には広大なボスニア・ヘルツェゴビナが隣接している。けれども、Dubrovnikへ続く道路のごく一部はボスニア・ヘルツェゴビナの国土になっていて、そのわずかな区間だけ、ボスニア・ヘルツェゴビナは海に面していることになる。つまり、Dubrovnikの周辺だけはクロアチアの飛び地のようになっているのである。それでこの区間を通る時にはパスポートが必要になる。けれども、バスの乗客のひとりひとりのパスポートを検査するほど厳重な警戒は無く、バスの運転手が窓越しに何やら話をしただけでそこを通過した。Dubrovnikに近づくにつれ、道路は山のかなり高いところを走って、町は遠く眼下に見下ろされた。それからバスは上手に下まで降りて行って、城壁の外側で僕たちをおろしてくれた。色々な国からの車や観光客であたりは混んでいた。跳ね橋を渡り、ピレ門をくぐり、フランシスコ会修道院に入った。ツアーの後ろについてまわって一通り町を見てから、港の食堂で小魚のフライの夕食を食べた。この国の人たちは概して人懐こいというか、親切というか、商魂や執拗なガメつさが無くて良い感じである。食事をしていると一匹の猫が近づいてきた。日本語で語りかけてやると猫は静かに耳を傾けていつまでもじっとしているのであった。歩くのは少し疲れたのでルジャ広場に設けられた長椅子にこしかけると、夕暮れ迫った教会の前に子供たちが、一部大人も混じって、合唱を始めた。こういう風にみんなで歌を歌った方が、日本の子供たちのように塾へ行って算数の問題を解くより、脳の活性化のために良いのではないかなと思ったりした。やがて帰りのバスの集合時刻が迫ったのでDubrovnikを後にした。ホテルに戻ったのは午後11時をまわっていた。約10時間の小旅行であった。