銅像

木 旧暦 閏3月6日 友引 丁巳 六白金星 Teresia Terese V17 23088日目

銅像はどこの国にも見られるものかもしれないが、日本の公園にはそれが多すぎるような気がする。尊敬する人の銅像の前に立つと、ちょっと複雑な思いになる。銅像の前に頭を下げるべきかという気持ちと、それは尊敬の気持ちとは別のものじゃないかという気持ちとが交錯するからだ。昨日のブログに書いた、調度品の表面に彫刻されたミニチュアの塑像などは微笑ましくて良いと思うが、銅像がそもそも僕はあまり好きでない。世の中には自分の銅像を建てて欲しいと思う人がいるらしいけれども、どうにも僕にはその気持ちが理解できない。外国では時代が変わったり、人々の意識が変化したりすると、これまであがめていたはずの人物の銅像を倒して破壊するような風景をニュースなどで見ることがある。日本ではそのような狼藉はまず見られない。そういう点を思うと日本は良い国であるなと思う。